
この記事で分かる事
私が体験したブラック企業はこんな感じだった

今回はちょっと毛色を変えて自分の体験したブラック企業について書いてみたいと思います。
と言うのも、このブログを読んでくださってる方々から、
という要望が多かったからなんですね。
ここらで自分自身の振り返りもかねて一つ書いてみようと思いました。
今回はIT業界の某上場企業で働いていた時の話です。
今現在会社に悩む方や、仕事に行き詰っている方の励ましになればいいですな。
初めての上場企業に期待は高まってた

時期で言うとこのIT企業に入社したのは2015年頃だったと思います。
それ以前は、web広告をメインにする中小の代理店で働いてたんですよ。
そこでは主に制作としてバナーやLP等の広告に付随する各種クリエイティブを作ってました。
当時事業としてメディア運営をやってみたかったんですが、中小と言う事もあって予算的にも人員的にもすぐには難しいと言う背景もありまして、そこで転職する事にしたんです。
ここでは円満退社でしたね。
そこで転職活動をし、採用を頂いたのがこの大手上場IT企業でした。
その時はね、とにかく「上場」と言う言葉に惹かれてましたね。
後は新しい事業はどんどんやってきます!ウチならできます!と言う社風が魅力的に映りました。
結婚もしたばかりでしたし、今後の生活のためにも給与もあげなきゃと考えた所の転職でしたし、うまく上場企業に入社できた!これで当面は安泰だ!と考えていました。
まあ、入社後すぐにそのレベルの低さに度肝を抜かれる事になるんですが。
そもそも募集要項と業務内容が大きく違った

当時の募集要項の内容ははっきりとは覚えていませんが、確か制作者、いわゆるデザインやらコーディングやらと作る側で入社したはずでした。
しかし、ふたを開けたらどうも違う。
いわゆるwebディレクターをやって欲しいと言う流れになっていたようで、最初に振られる業務からしてディレクターだったんですよ。
うん?おかしいなと思いましたが、前職でも少しディレクター的な仕事もしたことがあったので、まあいっかぐらいに考えてました。
その会社は、入社後課題をこなす必要があるんです。
その文化自体どうなんだと思いますが、中途採用の方は全員2か月程かけて、会社が出す課題をまとめてプレゼンしないとならないんです。
長い人だと半年もかかる課題ですが、これをクリアしないと通常業務に入れませんからやるしかないんです。
しかし、俺の場合は違ってました。
初日から課題もこなしつつ、通常業務の方も同時に振られる事になってたんです。
その時点で「この会社大丈夫か?」と思いましたよ。
こんなに教育のフローがないなんてと思い、上場企業とは言えどもレベルが高くない所はこんなもんなんだなーという印象でしたね。
メンターが明らかに社会人失格の人だった

もう一つ愕然としたのは、自分のメンターとして面倒を見てくれる事になった上司が、びっくりするぐらい仕事が出来ない人だった事です。
本人は出来てると思ってますが、とにかく段取りが悪い、仕事に責任感がない、大変な所は部下にやらせて手柄は自分が持っていくっていう感じの女性だったんですよ。
もうね、社会人としてどうなんだ?っていう印象です。
実際入社時点から周りの人が心配して声をかけてくれる事が多く、元々問題ありとされてた人なんですよね。
やる気だけあるのは分かりますが、明らかスキルも足りてない。
人間性も問題ありと目を当てられない人でしたね。
その後しばらくするとみんなこの人が嫌で辞めていく事になるんですが、それはまたの機会にしようと思います。
丸投げ&放置プレイがきつかった
そんな感じのメンターですから、仕事も特に何か教えてくれるわけではありません。
大きい会社になるとよく独自の社内ツールがあって、それを通して業務もやり取りする事が多いんですが、その使い方とかも最初わからないじゃないですか。
それでメンターに質問するわけです。
基本的にヒステリックでいつも自分の仕事でパツパツになってる人ですからね、大体返ってくる答えって「自分で調べて」とか「〇〇さんに聞いて」とか丸投げなんですよ。
たまに教えてくれる事があっても、その通り進めると違ってると言う事が大半でした。
その結果自分が別の部署に詰められる事も多くなり、入社後すぐに段々と疲弊していったんですよね。
任されたディレクターの案件も何もバックアップしてもらえず、すべて自力で対応しないといけない毎日でした。
ディレクターではなく作る方に専念させてくれと頼んでみた

このままでは心身共にやられてしまう、その前に退職しようかどうかというターンまで半年もかからなかったと思います。
嫁は毎日ぐったり疲れ切って帰って来る自分の姿を見て「そんな会社すぐに辞めろ」と言ってました。
毎日終電近くまで働いてましたし(もちろん上司はすぐにかえってました)、何も情報が無い中でクライアントから怒られる事も多かったですね。
このままでは死んでしまうと考えた時に、更に上の上司に悩みを打ち明けたんですよ。
その結果どうなったかと言うと、直ちにディレクター業からは外してもらって作る側のポジションに異動させてくれました。
この時はその上司に相談してよかったと思いましたよ。
自分がディレクションしてた案件は別のwebディレクターに引き継がれ、当初の予定通り制作側に回る事になったんです。
余談ですが、その案件を引き継いだディレクターも毎日ヒイヒイ言ってました。
スキルもびっくりするほど低かった

こうしてクリエイティブチームになったわけですが、当初はディレクターが一人と自分だけの二人体制でした。
そのディレクターが一応新しい上司になったわけですが、前の上司よりは人間性はいい人でしたね。
ただ、制作スキルは全くなくて知識も乏しい人でした。
web業界って非常に情報の流行り廃りが早いんですよ。
それこそ作る側であれば、毎日勉強して最新の情報を知っておく必要があるんです。
でないとクライアントの要望に応えられない場合も出てきてしまいますし、なによりレベルが低い制作会社に頼むよりは最新の知識もあってしっかり効果に繋がる制作物を作ってくれる方に依頼したくなるじゃないですか。
この時はただディレクターから降って来る案件を作るだけでなくて、こちらからも「この場合はこうした方が良い」とか意見をちゃんと言うようにしてたんですが、それもまかり通らないんです。
人間て変化を嫌う生き物なので、いつもと同じ流れでやってた仕事もちょっと変わるだけで拒否反応を示すんですよね。
もちろんこちらも努めて分かりやすく、これをする事でどういう効果があるかと言う事を伝える様に意識してました。
けどそんなアイデアとか最新の情報が反映される事って殆どなかったんですよ。
ただただ普通にLPを作ったりバナーを作ってる毎日だったわけです。
これぞブラック!始発出社終電退社

そんな毎日でしたが制作の人員を増やす事になりました。
ディレクターだったりデザイナーを新たに雇ったわけですが、そんな環境も相まってみんな長続きしないんですよね。
最短だと一週間で飛んじゃった人もいました。
それでも面接を繰り返して、なんとか派遣でデザイナーを一人、中途採用でディレクターを一人招き入れる事に成功しました。
その二人は割と大人で少し長くは勤続してくれたんですが、それでもスキルはやっぱり高くない方々だったんですよ。
しりぬぐいが回ってくる事態に
元々マネジメントも何もない会社でしたから、入って来ても後は全部自分でやってね!っていう社風です。
最初にいたディレクターのバックアップも含め、しりぬぐいが自分に回って来る事が多くなってきました。
みるみる残業は増えて、いままで定時で帰っていた業務量が段々と毎日終電までになっていきました。
入社して一番最初の駄目なメンターからも相変わらず意味の分からない案件が振ってきますし。
自分の業務整理とかもこなしつつ案件を見極めた上で対応していましたが、それでもパツンパツンになってくる。
表向きは自分の残業を減らそうと意見してくれるリーダーでしたが、何か行動に移してくれたことはなかったです。
残業をする時はあらかじめ申請を出さないといけないんですが、その時の自分の想定される帰宅時間を見て初めて「助け合おう」って言ってくるんですよ。
普段周りを見てないわけです。
結局自分の残業が増えるとチームのリーダーが怒られるのでそれを回避するための保身でしかないんですよね。
自分の仕事でいっぱいいっぱいなのか、自分の仕事だけこなせばいいと思っているのかはわかりませんが、チームのリーダーも機能していなかったと言う事です。
ただこの時他の人のしりぬぐいを頑張ろうと思っていた要因て、新しく入ったディレクターの方はお子さんが生まれたばかりでしたし、派遣の人に残業させるわけにもいかないので「じぶんが泥をかぶって制作チームをまわさないと」っていう使命感みたいなのもあったんですよ。
この当時はその気持ちだけで頑張ってました。
土日も出社する羽目になった
気づけば毎朝4時半には起きて始発に乗って会社に行く。
タイムカードの出勤を押しますが規定では朝7時が最速の始業時間となってましたから、朝2時間ちょっとはタダ働きです。
帰りはと言うと、終電までは当たり前、タクシーで帰る事も多かったですね。
家に着くのは大体深夜1時か2時、シャワーを浴びて1時間半ほど寝てまた起きて出社。
土日も必ずどちらかは出社してました。
休日はタイムカードを押すと後で人事からチームリーダーが詰められてしまうので、出勤も押さずに働いてました。
そんな生活が一年ぐらいつづきました。
一年間で体重が13kg落ちた

大きな病気にはかかりませんでしたし毎日眠気でぐったりというほどでもなかったんですが、みるみる痩せていきましたね。
気づけば会う人会う人に「やせたね」と言われるようになり、一年間で13kgも痩せました。
ただそれぐらいやると見えてくるものもあって、上層部の人や周りのチームの人からは「ノーリーさんのおかげで制作は回ってるね」とか「いつもありがとう」とか言われる事は増えてきたんです。
自分のやってきた事は間違ってなかったんだなと思いました。
泥臭い仕事の仕方ではあったけどそれで営業の人たちが案件を効率よく回せるのも目に見えてましたし、やりがいみたいな物は感じてたんです。
なにより同じチームのメンバーに必要以上に負担をかけずに済んでると言う責任感みたいなのもあったんです。
ただ同じ制作チームの人からお礼を言われた事はなかったですね。
そこはさみしかったです。
あ、そういえばこの前後で一度だけ肺に穴があきました。
マネジメントの失敗は信用を失う事

こちらの記事でも書きましたが、そんな最中チームリーダーに対して大きな不信感を覚える事件が勃発します。
この時は上層部の人やチームリーダーから「ノーリーさんの残業を減らすためにもう一人デザイナーを雇う」と言う打診がありました。
ただ正直に言うと、それを聞いた第一印象は「自分の業務時間は増える事はあっても減る事はないだろうなー」でした。
なぜならマネジメントをして教育できるのが自分しかいなかったからです。
これ以上チームから退職者を出すわけにはいかないと言う気持ちもありました。
それでも一縷の望みをかけて仕事に向かってましたが、半年に一度の上役との面談があったんですよ。
その面談時に自分の給与額が上がったり、ボーナスの時期であれば金額を教えてもらうんですが、まあ評価されるかされていないかがわかるわけです。
この時の面談はと言うと、事業部の上の方の人たちは自分を高く評価してくれてると言う事は教えてもらいました。
嬉しかったですね。
少し報われたきがしたのも事実です。
ただその後に衝撃が走ります。
リーダーからまったく評価されてなかった
言われたのは、「制作チームのリーダーはノーリーさんの事評価してなくて、この手の話の中でも唯一名前も出ない。なので今回の給与アップはこんな感じで」と言われたんですよ。
給与も1,000円上がっただけでした。
要は、一緒に最前線で頑張ってた上司は自分の事は一切評価してくれてなかった事が分かったんです。
正直に言うと、一番近くで評価してくれてる人だろうと思ってましたが、タカをくくってただけだったんですね。
この時は悲しい気持ちになりましたし、今日までの頑張りは何だったんだろうと思いました。
チームリーダーに対する信用は一気に無くしました。
普段口では褒めてくれてたけど、裏ではそんな風に思ってたんだと分かると、悲しい気持ちになりましたしね。
業務を巻き取って遅くまで働いている事の中には、このリーダーも早く帰らせてあげようと言う気持ちもあったからです。
自分の残業を減らすためと言って補充した人員も、結局は上の人から「この業務はやらせないように」とか「これはやらしちゃダメ」って言う制約みたいなのがあって、且つ新人のマネジメントを出来るのも自分しかいなかったので、当初感じた通り自分の業務量は大幅に増えました。
要は自分の業務を減らすために雇うというのは当初からなかったわけです。
けどね、腐っていても仕方ないし、この頃には自分の嫁のお腹にも赤ちゃんがいましたからね。
すぐに気持ちを切り替えて頑張ろうってなったんですよ。
上司への疑心暗鬼を感じたら終わり

相変わらず業務量は鬼でしたが、その中で考えた事は
ことでした。
そうして評価を上げて給料もアップしないと生活できなくなってしまいます。
第一子が誕生するのもあって、生活水準を上げると言うのは大前提にあったんですよね。
最初に書いた通り、webの情報は毎日追ってましたし、今のうちの業務から派生して売り上げを更に伸ばすには〇〇がベストだ!みたいなアイデアはあったんですよ。
自分も馬鹿ではないので、この時あらかじめチームリーダーには「今度こういう事業展開も考えててこういう動きをしたいんだけど、これは俺主体でやらせてください」ってお願いをしておきました。
手柄を横取りする文化が横行
というのも、この頃にはグループ内で人の手柄を横取りするのが横行してたからです。
特に制作チームはひどいとはっきり言われた事もあります。
「分かりました、いいですよ」と言うチームリーダーからの返事ももらいました。
更に上の役職の人にも細かく内容を伝え、一緒に動いてくれそうな人員を他のグループからも選抜しました。
忙しい業務の合間を縫って少しずつ内容を詰め、ちょっとずつではありましたが着実に進んでたんですよ。
そんな中第二の事件が起きます。
ある日例の新しい事業に向けたミーティングが入ってたんですが、直前になって「そのミーティング私たちも入れてね」とチームリーダーから言われました。
あらーと思いましたね。
この時点ではその人に対して信用も無くしてますし、なにより手柄を横取りする事件はグループ内のあちこちで起きてましたから「あー、おいしいとこだけ取りに来たー」と言うのが分かりました。
もうね、この時点でやる気はないですよ。
この先頑張ってこの事業が展開したとしても、自分の評価にはつながらない事が分かりましたから。
十中八九褒められるのはチームリーダーでしょう。
この時同時並行でチームリーダーは「自分もやりたい事がある、今後手伝って欲しい」と言うお願いをされましたが、それも最終的には自分にお鉢が回ってくる事はありませんでした。
まあ、これに関しては俺が「その手には乗らないぞ」的な空気を出したからだと思いますが、そっちはそっちで手伝ったとしても自分の評価にはつながらなかったでしょう。
信用は一度無くすと取り戻すのに数年かかります
いずれにしろこの一連の話しって、「だろう」が先行してるんですよ。
チームリーダーが突如新しい事業のミーティングに入れてくれって言ったのもただ内容を知りたかっただけの可能性もあります。
自分の新しいアイデアを手伝ってと言ったのも純粋に人が足りてなかった可能性もあります。
ただね、既に信用を無くしてしまっているとこういう場面で素直に受け取れないと言うか、疑心暗鬼が先行してしまうんですよね。
これが問題だと思いました。
こうして退職を決めた・・・が!ここでも大きな誤算が

結局毎日早く来て終電まで働いて、土日もどっちかはサービス出勤と言う生活が続きました。
とにかく子供が生まれるまでに新しい職場を見つけて、より給料を上げないといけないと言う事実は変わりませんでしたから、この時退職を決めました。
一応友人のコネや、過去仕事で繋がってた人達からのオファーもあったので転職はそんなに苦労しなそうなイメージではありましたが、チームリーダーに退職を告げた直後に驚きの事実が分かりました。
同じチームの別のディレクターも退職する事が確定してたんですよ。
先ほど触れたお子さんが生まれたディレクターです。
退職の時期もダダ被りしたんですね。
ただ向こうの方が若干退職自体は進んでて、既に最終出社日も決まってる状況でした。
そうなると自分はすぐには辞めれない。
ただでさえ人が居なくて他の人の業務も巻き取ってる中で、もう一人辞めたら完全に終わります。
結局なかなか辞めれない事態に
案の定上層部の人から退職を引き留められて、その結果半年程退職を伸ばすことになりました。
過酷な労働時間の毎日が更に半年続いたわけですよ。
その間も気分が悪くなる事は沢山ありました。
ここまでくると一周して突き抜けてしまってるので、ほぼすべての案件依頼が丸投げで来ます。
もちろん自分に評価が付く事は無く、おいしい所はリーダーの人だけが持っていく感じですね。
引き留めてくれた上層部の方は、その中でも自分が残れるようにと色々アイデアを出してくれましたが、結局現場の人間のしりぬぐいに奔走する中で「この先はないなー」と感じてしまったらもういられないですね。
ノーリーのブラック企業体験記[IT業界編]まとめ

今回IT業界編でブラックな体験をまとめてみましたが、思いのほかボリューミーになってしまいました。
今は無事別の会社に転職してそれなりに楽しく働けてます。
残業も大幅に減って、子供と過ごす時間も確保できてます。
ただ当時の事を振りかえってどこに問題があったかと言うと、一番はグループ内にマネジメントが出来る人が居なかった事ですね。
「自分だったらあの時こうした」とか「あーするのは良くない」っていう気持ちが他のチームのマネジメントに関してもありましたから。
それを指摘できない空気になってたのも悪い要因だと思います。
出る杭は打たれるじゃないですけど、指摘した人に責任とお鉢が回って来るから損をするみたいな風潮ですよね。
上場企業でもこんな感じなんだーと言うのが素直な感想ですし、自分の後に入社してきた人たちも皆そう言ってましたからやはり特殊な職場だったんでしょう。
自分の場合は運がよかっただけで、同じ働き方をしたら体調を壊す人もいると思います。
会社は責任を取ってくれないということ
一つ言えるのは、仮に体調を壊しても会社は何も責任は取ってくれないと言う事です。
今後あなたの人生に、どんな明るい出来事が沢山あったとしてもそれを感じる事が出来ない体になってしまう。
その時責任を取ってくれる会社なんてなかなか存在しないと思うんですよ。
このような会社に勤めていたら、必ずどこかで見極めないといけない瞬間があります。
そこを見誤ると、心身を壊すばかりかニュースになるような事件に発展する可能性だってあるわけです。
人生を楽しむための仕事だと思いますし、仕事が先に来てそれに忙殺されるような環境はなくした方がいいと思います。
この体験談がゆくゆく誰かの参考になって、その方のストレスが軽くなればいいなーと思う今日この頃でした。
ではでは。